“ひきあげ”ってなに?

戦時下の暮らし

1. 昭和(しょうわ)のはじめごろの日本(にほん)

世界の経済が混乱してニューヨーク証券取引所に押し寄せる人々
世界(せかい)経済(けいざい)混乱(こんらん)してニューヨーク証券取引所(しょうけんとりひきじょ)()()せる人々(ひとびと)

昭和(しょうわ)になる(まえ)関東(かんとう)では“関東大震災(かんとうだいしんさい)”という (おお)きな 地震(じしん)がおこり、東京(とうきょう)横浜(よこはま)ではたくさん(ひと)()くなって、(いえ)仕事(しごと)(うしな)(ひと)がたくさんいました。

昭和(しょうわ)にはいると日本(にほん)は、 景気(けいき)がわるくなり、(なつ)にできる 野菜(やさい)果物(くだもの)もなかなかできず農家( のうか)はとても (こま)っていました。

いろいろな不安(ふあん)一部(いちぶ)(ひと)たちの(なか)(おお)きくなっていました。

2.満洲国(まんしゅうこく)

満洲のあった場所
満洲(まんしゅう)のあった場所(ばしょ)

昭和(しょうわ)6(ねん)(1931)、現在(げんざい)中国(ちゅうごく)にいた日本軍(にほんぐん)武力(ぶりょく)によって 中国(ちゅうごく)東北部(とうほくぶ)満洲(まんしゅう)とよばれる場所(ばしょ)占領(せんりょう)しました。

そこに昭和(しょうわ)7(ねん)(1932)に満洲国(まんしゅうこく)という(くに)(つく)って、たくさんの日本人(にほんじん)移住(いじゅう)させることを()めました。中国(ちゅうごく)(ひと)たちはこれに反対(はんたい)し、世界(せかい)(じゅう)(くに)からも満洲国(まんしゅうこく)をつくることを反対(はんたい)されました。

3.満洲(まんしゅう)への移住(いじゅう)

満蒙開拓青少年義勇軍募集のポスター
満蒙開拓青少年義勇軍募集(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐんぼしゅう)のポスター

満洲国(まんしゅうこく)をつくった日本(にほん)昭和(しょうわ)32(ねん)(1957)までにおよそ500万人(まんにん)もの人々(ひとびと)(おく)()計画(けいかく)をしていました。

昭和(しょうわ)20(ねん)(1945)に戦争(せんそう)()わるまでにおよそ32万人(まんにん)もの日本人(にほんじん)農業(のうぎょう)をするために満洲(まんしゅう)(わた)ったといわれています。

また、農業(のうぎょう)をする(ひと)(なか)には満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)といって15(さい)~18(さい)(わか)(ひと)たちも大勢(おおぜい)いました。(かれ)らは普段(ふだん)農業(のうぎょう)をして、戦争(せんそう)になった(とき)には兵士(へいし)として(たたか)わなければなりませんでした。

4.満洲(まんしゅう)()らす人々(ひとびと)

上海書店(しゃんはいしょてん)店先(みせさき)煙草(たばこ)()(ちち)高井 ( たかい ) 研一郎 ( けんいちろう )

(くに)決定(けってい)によって、昭和(しょうわ)20(ねん)(1945)までに155万人(まんにん)~200万人(まんにん)日本人(にほんじん)満洲(まんしゅう)へと移住(いじゅう)したといわれています。

農業(のうぎょう)をするために(わた)った人々(ひとびと)満洲(まんしゅう)とソ(れん)やモンゴルなどの国境(こっきょう)のあたりに(おお)()んでいました。サラリーマンや商売(しょうばい)をしていた(ひと)新京(しんきょう)奉天(ほうてん)など(おお)きな(まち)()んでいました。

5.出征兵士( しゅっせいへいし)

出征兵士
出征兵士(しゅっせいへいし)

兵士(へいし)となって戦争(せんそう)へいくことを出征(しゅっせい)といいます。

日本(にほん)第二次世界大戦 ( だいにじせかいたいせん )()わりまで、20(さい)以上(いじょう)(おとこ)(ひと)兵士(へいし)にならなくてはいけませんでした。

召集令状(しょうしゅうれいじょう)とよばれる通知(つうち)(とど)くと、3()~1週間以内(しゅうかんいない)出征(しゅっせい)しなければなりませんでした。

兵士(へいし)(おく)()家族( かぞく ) は、兵士(へいし)名前(なまえ)(はい)った見送(みおく)りのための(のぼり)(つく)って見送(みおく)りました。