舞鶴引揚記念館 平和学習 教育旅行

はじめに

 ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心に平和のとりでを築かなければならない」とあります。舞鶴引揚記念館では引き揚げやシベリア抑留の史実を学ぶことにより、平和を希求する心をはぐくむ平和学習のプログラムをつくり、教育旅行の受け入れをおこなっています。

 さらに当館の展示資料は、平和への願いだけでなく、人間の生命力、人間愛、家族愛など人類に共通する普遍的な主題を伝えるものが多く、平和学習に加え、人権や命について、若い世代も共感しながら学べる環境にあります。

引揚事業とは

第二次世界大戦の終結後、軍人と民間人をあわせ、660万人以上といわれる日本人が海外に残されていました。この人たちの速やかな帰国を実現するため、国の事業として、軍港だった舞鶴をはじめ、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、横浜、仙崎、門司を引揚港に指定。このうち舞鶴は、昭和25年以降は、国内唯一の引揚港として昭和33年9月7日最終船まで、実に13年間にわたり、約66万人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れました。

また、捕虜となりシベリアで抑留された方の多くは、重労働や寒さ、飢えなど筆舌に尽くしがたい苦労の末、舞鶴に引き揚げられています。引揚記念館に展示している資料には、引揚者を温かく迎えようと当時の舞鶴市長から市民向けに呼びかけた回覧文があります。

歓迎や慰問、差し入れなど町ぐるみで迎えた市民の姿に、舞鶴から全国へ帰宅された引揚者から後々まで感謝の言葉が寄せられました。

事前学習について

館内案内 語り部

 引揚記念館では、引き揚げやシベリア抑留など戦争の惨禍によっておこった史実をより多くの方へ伝えるために、史実の継承事業として学芸員による出張講座をおこなっております。

 パワーポイントを使用して当時の様子を伝える元抑留者が描いた記録絵画などを見ながらシベリア抑留や引き揚げの歴史を学ぶことができます。また、シベリアから持ち帰ったコートや防寒帽などの実物資料に触れて、当時へ想いを馳せながら、教科書だけではできない学習をおこなっています。

 当館で学習教材は用意します。また、講師料などの負担もありません。気軽にお声かけください。

※遠方の場合、交通費等の実費をご負担いただくことがあります。
お問い合わせメールフォームよりご相談ください。

教育普及

シベリアで使用された飯盒などの実物資料を使って“出張講座”をおこなう学芸員

平和学習 動画

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