絆イメージ ロゴ 資料  本企画展の展示資料の一部を御覧頂けます。

昭和30年(1955)9月下旬に日本の国会議員団がハバロフスクの収容所にて撮影した抑留者の集合写真。最後列右端が北田利氏。この写真は同年10月6日の朝日新聞に掲載され日本の家族を驚かせる。
昭和30年頃にハバロフスク第二収容所で撮影された写真。利氏のメモによると「ソ連当局が写真技師を連れて来て抑留者に写真を撮影することを許可した」と記されている。
神戸の自宅の前で撮影。
はま氏の日誌
昭和25年(1950)夏に神戸に転居してから書きはじめた日誌。日々の生活での出来事をはじめ、夫への想いや結婚直後の東京での生活の回想、少女時代に母を亡くした時の想い、そして娘たちの成長についてなど母・妻として様々な思いを生き生きとした表現で綴っている。また俘虜用郵便葉書には書けなかった本当の思いなどが記されている。
利氏から日本の家族へ送られた最初の葉書
昭和23年(1948)頃に日本の家族のもとにシベリアから届いた最初の葉書。自身が元気であることと、妻や娘の消息をうかがっている。そして再び会る“喜びの日”を待っていてくださいと記されている。
家計簿
はま氏は日々の生計を立てるために神戸市内の百貨店に勤務していた。決して裕福ではない生活の中にありながらも当時、大変高価だった“小麦粉”や“砂糖”“たまご”などをたびたび買い求めていたことがわかる。日誌の記述から子供たちに得意の“ドーナツ”を作ってあげていたことがうかがえる。そこに母の愛情が強く感じとれる。
家族のアルバム
このアルバムは北田家が神戸で過ごした数年間の写真と親戚の写真が収められている。しかし、そこには父・利氏の姿はない。明るく前向きに生きる母と娘の姿がみえる。
日本からシベリアへ送った最後の葉書
昭和31年 (1956) 12月1日付けでシベリアの利氏へ送った葉書。ラジオ放送で年内にすべての邦人抑留者が帰ってくると聞きその喜びを記している。
兵庫県世話係からの葉書
兵庫県世話課では俘虜用郵便葉書を県下の留守家族から回収して葉書の内容に帰還に関することが書かれていないか検証をおこなっていたと考えられる。この葉書には検証の結果、利氏がいつ帰還できるか俘虜用郵便葉書の文面からはわからないという報告がなされている。