戦時中の様子
1920年代後半に世界恐慌が起こり、日本の農村は経済的に窮乏していました。1930年代半ばに入ると日本は戦争への道を突き進んでいきました。その中で多くの日本人が中国東北部の満洲へと渡りました。
昭和初期の社会状況
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満洲の日本人
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満蒙開拓団の住居建設風景
当時の日本政府は昭和32年までに
約500万人の日本人の移住と100万戸の
住宅の建設を計画していた。
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満洲弥栄村満蒙開拓団の人々
第一次開拓団として満洲へ送られた
弥栄村(いやさかむら)開拓団の人々。
大日本帝國の崩壊と引き揚げ(日本の敗戦と引き揚げ)
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高井 研一郎 画
明治以降の近代化の中で、日本は台湾と南樺太(サハリン)を領有し、中国東北部(満洲)に権益を獲得、さらに韓国を併合しました。また第一次世界大戦でも戦勝国となり、南洋群島を委任統治領としました。昭和期に入ると、日本は中国大陸から東南アジア・太平洋方面へとさらに勢力を拡大し、大東亜共栄圏を構築しようとするなど、海外に多くの領土や支配地を抱える帝国を形成しました。しかし第二次大戦の敗戦の結果、その一大帝国が崩壊し、海外にいた約660万人(当時の日本人口の約9%)の軍人・軍属と民間人がいっせいに日本本国への引き揚げを余儀なくされました。
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防空頭巾
空襲を受け、避難する際にかぶるものです。学校や隣組と呼ばれる自治組織での避難訓練、竹やり訓練などでもかぶることもありました。
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教練教科書
敬礼の仕方や戦場での基本的な戦い方などが記されています。
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奉公袋
陸軍へ入隊する際に軍隊手牒や勲章、召集令状など必需品を入れるために使われました。
在郷軍人(一度、軍隊を退役したもの)は再度召集を受けるまで奉公袋を常備することが常識とされていました。
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慰問袋
戦地の兵士へ食料や医薬品、日用品などを入れて送るための袋で、町内会や学校といった単位で集められ、陸軍を通じて戦地の兵士へ渡されました。
年表
1840年 | イギリスが清国(中国)とアヘン戦争。清国が欧米諸国の半植民地化になる。 |
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1868年 | 日本明治政府誕生。富国強兵へ。 |
1875年 | ロシアとの間で、千島樺太交換条約。 |
1894年 | 日清戦争。勝利し遼東半島、台湾割譲。朝鮮から大陸進出のきっかけとなる。 |
1895年 | 露・仏・独の三国干渉。やむなく遼東半島返還後、ロシアが清より租借。 |
1904年 | 日露戦争。日本勝利。旅順・大連の租借権、南樺太を得る。帝国主義路線へ。 |
1910年 | 韓国併合に関する条約締結。その後、1942年には在朝日本人が75万人余りとなる。 |
1914年 | 第一次世界大戦勃発。日英同盟を背景に対独宣戦。山東鉄道接収。 |
1920年 | 第一次世界大戦後、国際連盟の認可のもと、ドイツ領パラオが日本委任統治領となる。 |
1932年 | 満洲国建国宣言。日本人の満蒙開拓団が入植。 |
1933年 | 日本、国際連盟を脱退。 |
1937年 | 日中戦争勃発。8年間の戦いが始まる。 |
1939年 | 第二次世界大戦勃発。 |
1940年 | 日独伊三国同盟調印。国際的な緊張状態が強まる。 |
1941年 | 日本、南部仏印進駐。これによりABCD包囲陣(米英中蘭)による経済封鎖措置。 日本、米英に宣戦布告。真珠湾攻撃。 資源を求め大東亜共栄圏を構想し、欧米の植民地であったアジア各国に侵攻。 |
1945年 | 東京大空襲、広島・長崎 原爆投下。日本降伏。終戦。 ソ連、日ソ不可侵条約を破棄し、樺太・満洲・朝鮮半島・千島にソ連軍侵攻。 佐世保、博多、鹿児島、下関、仙崎、呉、舞鶴、浦賀、函館に地方引揚援護局を設置し、引揚事業開始。 ソ連軍潜水艦攻撃による三船殉難事件。 ソ連軍、満洲国反乱兵による麻山、小山克、葛根廟、牡丹江、敦化事件。 日本人のシベリア抑留・強制労働が始まる。 |
1946年 | 日本人引揚者630万人のうち、約9割の引揚が完了。 |
1950年 | 佐世保・函館の引揚港が閉鎖。舞鶴が国内唯一の引揚港になる。 |
1958年 | 引揚船白山丸を最後に引揚事業終了。 |