“ひきあげ”ってなに?

戦時下の暮らしソ連の侵攻と引き揚げのはじまり

1.ソ(れん)攻撃(こうげき)

( )りし()戦争(せんそう)への記憶(きおく)渡辺八郎尉門(わたなべはちろういもん) ()

昭和20(しょうわ)(ねん)(1945)8(がつ) 9(にち)、とつぜんソ(れん)満州(まんしゅう)攻撃(こうげき)をしました。それは 戦争(せんそう)()わる1週間前(しゅうかんまえ)のことでした。

(のう)(ぎょう)をするために満州(まんしゅう)移住(いじゅう)した日本人( にほんじん)(おお)くが()くなりました。その(なか)には(ちい)さな()どもたちもいました。

2.()()

()()/rp>げの(なが)道程(みのり)」ちば てつや

(れん)攻撃(こうげき) で、たくさんの(ひと)()くなり()()びた(ひと)たちは、日本( にほん)帰国( きこく)するため、(みなと)までの移動( いどう)がはじまりました。 それを()()げといいます。

(みなと)まで何百(なんびゃく)キロもある(みち)荷物(にもつ)()って、(ちい)さなこどもの()()いて(ある)かなければなりませんでした。その途中(とちゅう)で、()っていた() べものがなくなって (いのち)( )とす(ひと)たちもいました。 引揚者(ひきあげしゃ)(なか)にはせめて 子供(こども)(いのち )だけでも (たす)けようという(おも)いから地元( じもと)住民(じゅうみん)にあずける(ひと)もいました。 また、引揚者(ひきあげしゃ)()べものや()(みず)()けて、(たす)けてくれる地元(じもと)住民(じゅうみん)もいました。

満洲(まんしゅう)から()()げて、 日本( にほん)無事(ぶじ)(かえ)ることできた(ひと)たちは、博多( はかた)佐世保(させぼ)舞鶴(まいづる)などに上陸(じょうりく)しました。