戦時下の暮らし
1. 昭和のはじめごろの日本
昭和になる前に関東では“関東大震災”という 大きな 地震がおこり、東京や 横浜ではたくさん人が 亡くなって、家や仕事を失う人がたくさんいました。
昭和にはいると日本は、 景気がわるくなり、夏にできる 野菜や 果物もなかなかできず農家
はとても 困っていました。
いろいろな不安が一部の人たちの中で大きくなっていました。
2.満洲国
昭和6年(1931)、現在の中国にいた日本軍
が武力によって
中国の東北部の満洲とよばれる場所を占領しました。
そこに昭和7年(1932)に満洲国という国を作って、たくさんの日本人を移住させることを決めました。中国の人たちはこれに反対し、世界中の国からも満洲国をつくることを反対されました。
3.満洲への移住
満洲国をつくった日本は昭和32年(1957)までにおよそ500万人もの人々を送り出す計画をしていました。
昭和20年(1945)に戦争が終わるまでにおよそ32万人もの日本人が農業をするために満洲へ渡ったといわれています。
また、農業をする人の中には満蒙開拓青少年義勇軍といって15歳~18歳の若い人たちも大勢いました。彼らは普段は農業をして、戦争になった時には兵士として戦わなければなりませんでした。
4.満洲で暮らす人々
国の決定によって、昭和20年(1945)までに155万人~200万人の日本人が満洲へと移住したといわれています。
農業をするために渡った人々は満洲とソ連やモンゴルなどの国境のあたりに多く住んでいました。サラリーマンや商売をしていた人は新京や奉天など大きな町に住んでいました。
5.出征兵士
兵士となって戦争へいくことを出征といいます。
日本は第二次世界大戦
の終わりまで、20歳以上の男の
人は兵士にならなくてはいけませんでした。
召集令状とよばれる通知が届くと、3日~1週間以内に出征しなければなりませんでした。
兵士を送り出す家族
は、兵士の名前の入った見送りのための幟を作って見送りました。