“ひきあげ”ってなに?
シベリア抑留
1.シベリアへつれて 行かれる
ソ連軍
に多くの
日本兵や
一部の
民間人が「トウキョウ ダモイ」
「東京=
日本へ返してやる」と
言われて、ソ連のシベリアなどに
無理やりつれて行かれました。そのことをシベリア
抑留といいます。
シベリアへつれて行かれた人の数はおよそ60万人といわれています。
一番遠くは
当時のソ
連の
一部だった、ウクライナやグルジア、ウズベキスタンやカザフスタンまでつれて行かれました。シベリアなどではきびしい労働が待っていました。
2.シベリアでの 生活
シベリアなどにつれて行かれた人々は無理やり働 かされました。それを強制労働といいます。 強制労働は鉄道や学校 などの建設、木を切るなどの労働でした。しかし、食べるものも少なく、一日にパン 一枚ということもありました。また、 真冬 になると -30~-40℃になることもありました。そのため、たくさんの人が亡 くなりました。
3.シベリアでの 食べもの
シベリアでは、十分な食事をあたえてもらえず栄養不足のために毎日たくさんの人が命を落としました。
シベリアへつれて行かれた最初のころは、わずかなパンやスープを仲間と分け合っていましたが、やがて食べものが少 ないためにけんかがおこりました。みんな生きるために必死になっていました。
4.シベリアの 寒さ
シベリアは北海道よりも北 にある 場所です。そのため、冬 は-30℃になることもめずらしくありません。この図 を見 てどのくらい寒 い場所 か想像 してみてください。
5.シベリアでの 服
シベリアへつれて行かれた時 の季節 は夏 でした。そのため、夏服 のままシベリアへつれて行かれました。冬服 はあとでソ連軍が日本軍の倉庫からうばったものをくばっていましたが、ソ連 の服 をくばられることもありました。