舞鶴引揚援護局
1.
引き揚げと舞鶴
舞鶴港は昭和20年(1945)9月28日に引揚船を受け入れる港になりました。引揚船を受け入れる港は全国に18港ありました。
昭和25年(1950)函館、佐世保の引揚港が、受け入れを終了
すると
舞鶴だけが引揚船を受け入れる港になりました。昭和33年(1958)にその役目を
終えるまで、のべ346隻の引揚船を受け入れ、およそ66万人もの引揚者が上陸しました。舞鶴の人々は上陸した引揚者にお茶やふかした芋を振る舞い、港から駅へ向かう引揚者に「お帰りなさい!ご苦労さまでした!」と声をかけて温かく迎えふるさとへと見送りました。
2.舞鶴(地方)引揚援護局
舞鶴(地方)引揚援護局は中国や満洲、朝鮮半島、シベリアなどから日本へ帰ってくる引揚者を受け入れるために昭和20年(1945)11月24日にできました。おもな仕事は、帰ってきた引揚者の帰国の手続きをしたり、列車のきっぷを配ったりしました。
閉局するまでの13年の間に約66万人もの日本人が舞鶴に上陸しました。そのほかにも戦争が終わるまで日本に住んでいたおよそ3万3千人
もの
中国や朝鮮半島などの人々を送りだしました。
3.DDT
DDTとは体についたノミやシラミなどを駆除
するための
粉末の薬
のことです。DDTを 受けた後は、入浴することになっていました。久しぶりのお風呂がうれしくて、はしゃぎまわる人もいました。
4.歓迎塔
舞鶴引揚援護局に引揚者を歓迎するためにたてられた塔のことです。船のつく桟橋のそばや舞鶴のまちのいろいろな場所に建
てられました。
歓迎塔をみた引揚者の中には舞鶴の人々の優しさに涙を流して喜ぶ人もいました。