市民の皆さんに「舞鶴引き揚げの日」を知っていただくためのきっかけづくりとして、舞鶴市役所ロビーにおいて特別展示を行っています!舞鶴市役所1階ロビーにお立ち寄りの際は、ぜひご覧ください。
〇展示期間
令和5年9月7日(木)~10月6日(金)
〇場所
市役所本庁1階ロビー
市民の皆さんに「舞鶴引き揚げの日」を知っていただくためのきっかけづくりとして、舞鶴市役所ロビーにおいて特別展示を行っています!舞鶴市役所1階ロビーにお立ち寄りの際は、ぜひご覧ください。
〇展示期間
令和5年9月7日(木)~10月6日(金)
〇場所
市役所本庁1階ロビー
10月7日「舞鶴引き揚げの日」の認知度向上のためのポスター掲示に
ご協力いただける個人や団体、事業所等を募集します。
舞鶴市では、引き揚げやシベリア抑留の史実と引揚者を博愛の精神をもって迎え入れたまちの歴史を次世代へ継承するとともに平和に対する意識の高揚を図ることを目的に、引き揚げ第1船入港日である10月7日を「舞鶴引き揚げの日」と制定し、今年で5年目を迎えました。
さらなる認知度向上のため、皆さまのご協力をお願いいたします。 |
◆掲出期間
期限はありません。最短で10月7日まで。
◆掲出場所
多くの人の目に触れる店舗や自宅前、また従業員向けの事業所に掲示をお願いします。
◆対象
ご協力いただける個人、団体、事業所などにポスターをお届けします。
※舞鶴市内に限りません
◆連絡
舞鶴引揚記念館へ電話☎0773-68-0836 またはメール:hikiage@city.maizuru.lg.jpまで
▲ポスター(A2版)
本展では、当館が所蔵する回想記録絵画において最も多い242点の作品を遺されたシベリア抑留体験者・吉田勇氏の作品を通して、厳しい抑留の様子をお伝えするとともに、過酷な環境下の中にも労働の合間には心休まる瞬間があったことを紹介します。
◇展示期間 令和5年9月2日(土)~ 令和5年11月5日(日)
※展示期間中の休館日:毎週水曜日
◇場 所 舞鶴引揚記念館 企画絵画展示室
(企画展は無料。別途入館料が必要です)
◇展示内容
シベリア抑留では過酷な環境下においても、労働と労働の合間の休息時間、ソ連の人びととの交流など、そうした時には緊張感や不安感から解放され心休まる瞬間があったことはあまり知られていません。
どのような環境下においても人が生きる上で精神的な支えや安寧がとても大切であることが収蔵絵画を通じてお伝えできればと思います。
◇展示資料
【総点数 19点】
・素描 15点 ・油彩 3点 ・着彩 1点
❖ 吉田 勇 氏 略歴 ❖
大正12年(1923)12月 奈良県大和高田市生まれ 昭和19年(1944)10月 現役入隊後、満洲へ渡る 昭和20年(1945)終戦後、ウラジオストックの北約100㎞に位置する町 ヴォロシーロフ(現 ウスリースク)などに抑留される 昭和22年(1947)7月 英彦丸で舞鶴に帰還。復員(帰還)後は奈良県内 米穀商や映画館経営などをおこなう 昭和62年(1987)吉田勇氏より回想記録画5点を舞鶴市に寄贈 平成12年(2000)6月14日 逝去 76歳 平成25年(2013)5月20日 ご家族より回想記録画237点を寄贈 |
『天幕張り』
制作 1988年 素描 ウラジオストックから帰国してもらうが、婦女子を先行させるとので、君たちはここで待機していてもらうということで、連れてこられたルイチキという大平原の真只中で仮の宿舎としての天幕はりを各分隊毎にすることになった。我々は、帰国までもうしばらくのことがと信じていたので分隊競いあって、天幕はりに従事したものであった。 昭和20年9月初旬 画集「一兵士のダモイへの道」より |
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『収容所見物のソ連人』 制作 1984年 素描 ウォロシロフ収容所の頃は作業より帰所し夕食までの短時間にソ連人によくタバコをせびりに行ったものである。中略〉そのごろのソ連人は満州より略奪してきた背広を着用しており、襟元を裏返しにすれば日本人名が見える。〈中略〉中には私らの眼から見れば余りにもトンチンカンな改装もあり笑ったものだ。 昭和21年5月頃 画集「一兵士のダモイへの道」より |
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『火打石』 制作 1984年 素描 ソ連労働者と一緒になり作業中の休憩のとき、ソ連人よりタバコを分けて貰った。火をつけるのはどうするかと見ていると原始的な火打石即ちロシア式ライターを巧みに使うのには感心した。あの時のマホルカの味は実にうまかった。 昭和22年5月頃 画集「一兵士のダモイへの道」より |
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チラシ裏面PDF→こちら |