【休館のお知らせ】
緊急事態宣言延長の発令にともない「新型コロナウイルス感染予防や拡大防止」の観点から、6月20日(日)まで休館を再延長いたします。
休館期間:令和3年6月20日(日)まで
皆様には、ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願い申しあげます。
※なお、今後の状況により、期間が変更になる場合がございますので、ご了承ください。
皆様には、ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願い申しあげます。
※なお、今後の状況により、期間が変更になる場合がございますので、ご了承ください。
舞鶴市は東京オリンピックに参加するウズベキスタンのホストタウンとして、スポーツや文化などの様々な分野で交流を続けてきています。
交流のきっかけとなったのは、平成28年1月に、日本人抑留者資料館長の方が舞鶴に来て頂いたことでした。不思議な縁で結ばれた、ウズベキスタンと私たちの物語をご紹介させていただきます。
ウズベキスタンは日本からおよそ 6,400㎞離れた中央アジアに 位置しており、面積は日本のおよそ1.2倍、人口は約3,000万人、1991年にソビエト連邦(以降、 ソ連)崩壊に伴い独立した国で、世界に2つしかない「二重内陸国」です。海へと出るためには国を2つ越える 必要があります。(もう一つはリヒテ ンシュタイン)
そんな、ウズベキスタンには「日本人のようになりなさい」という言葉が語り継がれています。なぜ日本から遠く離れた縁もゆかりもないような国で、「日 本人のようになりなさい」という言葉が語り継がれているのでしょうか。 親日意識は「シベリア抑留と海外引揚」から。その理由は「シベリア抑留と海外引揚」にありました。 
今から約76年前、第2次世界大戦末期のことです。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏しましたが、8月23日までソ連軍の侵攻は続き、ソ連は、その戦闘の中で捕虜となった人々を各地に抑留し、強制労働に従事させました。「シベリア抑留」です。
抑留者は、シベリアや中央アジアなど各地に送られ、森林伐採や道路整 備、建物建築といった様々な重労働を課せられました。 抑留地の一つであるウズベキスタンには約25,000 人が送られました。 ウズベキスタンは雨が少なく乾燥し、 夏は最高気温が40度、冬は最低気温 がマイナス20度にもなる、大変厳しい環境の国で、抑留者は水力発電所や学 校などの建設に従事しました。
現在で もオペラやバレエの上演に使用され、 ウズベキスタンの紙幣にも描かれているほど有名な「ナボイ劇場」も1945~46年にかけて457人の抑留者によって建造されました。

ナボイ劇場を建設した抑留者たちは、「第4ラーゲル」と呼ばれる収容所に収容されていましたが、近くに住んでいた人によると「日本人抑留者は朝、整然と隊列を組んで出て、労働が終わった夕方にはまた整然と隊列を組んで帰ってきていた。朝、出かけるときはいつも決まった時間に通るので、彼らの歩く下駄の音を目覚まし時計代わりにしていた人もいるほどだった」 またある人は「彼らの食事は1日300グラムの黒パンと薄いスープだけだった。その黒パンですら労働成績が悪いと減らされることがあったのだとか。ある時、大変な労働でおなかがすいているだろうからと、収容所の柵の間からパンと果物を差し入れたところ、数日後、同じ場所に手作りの木のおもちゃが置かれていた。そのことを母親に伝えると母親にこう言われた。『日本人は勤勉で礼儀正しい。物を作るのも上手いうえに、恩を忘れない人だ。あなたも日本人のようになりなさい。』と。
また、ウズベキスタンの前大統領である故カリモフ氏は、生前こんなことを仰っていたそうです。「子どもの頃、母親に連れられて、毎週末日本人 の収容所に行った。そして、そのたびに同じことを言われた。『息子よ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。3 人が見ていなくても働く。おまえも大きくなったら、日本人と同じように人が見ていなくても働く人間に必ずなりなさい。』そんな言いつけを守って育ち、今では大統領になれた。」 と。
ナボイ劇場の建設に携わった日本人抑留者457人の内、2人が事故などによって現地で亡くなったそうです。
皆様には、ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願い申しあげます。
※なお、今後の状況により、期間が変更になる場合がございますので、ご了承ください。
緊急事態宣言の発令にともない「新型コロナウイルス感染予防や拡大防止」の観点から、5月8日(土)に開催予定の第3講は延期とさせていただきます。
| 新型コロナウィルス感染症の影響で延期しておりました「語り部養成講座(令和2年度募集分)」を開講することとなりましたのでお知らせします。
当講座は、薄れゆく引き揚げやシベリア抑留の史実を、13年間にわたり引き揚げ者をあたたかく迎えた舞鶴から次世代へ語り継いでいくため、平成16年より(平成22年~平成26年は中断)開催しているものです。令和2年度は、令和3年2月~3月の開催を予定しておりましたが、延期していたものです。 なお、再開にあたりましては、国・府・市から示されている感染拡大予防ガイドライン等に基づいた措置をとり実施いたします。 |
1.日 時 : 令和3年4月10日(土)、 4月17日(土)、5月8日(土)
| いずれも13:00~16:40 |
2.場 所 : 舞鶴引揚記念館 セミナールーム
3.カリキュラムについて ※こちらをご覧ください
4.新型コロナウイルス感染症拡大防止にかかる対応
| ・密閉空間にならないよう扉を閉めきらず、換気を行いながら実施 |
| ・密集、密接を避けるため空間を保ち受講席を配置 |
| ・マスク着用、手指消毒の徹底等 |
休館期間:令和3 年4月25日(日)から令和3年5月11日(火)まで
皆様には、ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願い申しあげます。
※なお、今後の状況により、期間が変更になる場合がございますので、ご了承ください。
八重桜の見ごろは、例年4月20日前後です。
舞鶴引揚記念館では国内外の施設と連携しながら、引き揚げ及びシベリア抑留の史実や平和の願いを発信しており、戦後75年となる2020年、平和祈念展示資料館(東京都・新宿区)と戦争体験の継承をテーマにした映像作品を共同で企画・制作しました。
戦争体験の継承が難しくなっている今、若い世代の人たちにシベリア抑留を知ってもらいたい、体験者の記憶を伝えることの大切さを感じて頂ければと思います。
舞鶴引揚記念館では収蔵資料のユネスコ世界記憶遺産登録を契機として、引き揚げ及びシベリア抑留の史実や平和の願いを国内外に広く発信するため、海外の関係都市との調査・交流や「ICOM(国際博物館会議)京都大会2019」関連事業などを通じて海外への発信にも積極的に取り組んでいます。
この度、海外発信の取り組みの一環として、京都府立東舞鶴高校(校長 塩尻徹)と連携し作成を進めてきた英語版引き揚げ紙芝居『シベリアからやって来たクロ』」が完成しました。ぜひ、ご覧くださいませ。
≪シベリアからやってきたクロ≫
シベリアの収容所で日本人の抑留者が飼っていたメスの犬のことです。全身が黒かったためクロという名前がつけられました。とても人なつっこくて抑留者たちからはとても可愛がられていました。昭和31年(1956)12月24日早朝、シベリアからの最後の引揚船がナホトカ港を出発すると船を追いかけるように、流氷ただよう海へクロが飛び込みました。その後、船に乗せられ、シベリアで一緒に生活した仲間として日本へとやってきました
参加した東舞鶴高校生徒の視聴の様子