8月11日(祝・山の日)に予定をしております「舞鶴引揚記念館 ナイトミュージアム」の内容が下記のとおり決定しましたのでお知らせいたします。
記
1趣旨
第2次大戦後の引き揚げやシベリア抑留、多くの引揚者をあたたかくお迎えした舞鶴市民
のおもてなしの歴史などを広く周知する機会を作るため、通常開館に加えて夜間開館する。
また、9月30日に開催される ICOMプレ大会「舞鶴ミーティング2018」の前に機運を
高め、身近な博物館として関心を寄せてもらえるよう、イベントを実施する。
2開催日時等
日 時:平成30年8月11日(祝・山の日) 17時~21時
場 所:引揚記念公園・舞鶴引揚記念館
入館料:無料
3.実施概要
(1)テーマ
「光と音で繋ぐそれぞれの想い」をテーマに、夜のイベントの特徴を生かした「光」と参加者が奏でる「音(声)」を中心とした催しを実施します。
(2)プログラム 都合により時間を変更することがあります。
(3)主な内容紹介 ※プログラムと平面図参照
引揚記念館内での催し
①【紙芝居の読み聞かせ】
(出演者等)
・高校生語り部
(内容)
・紙芝居の実演。演目「クロの物語~シベリア抑留者とともに~」
(場所)
・セミナールーム
[中学生語り部のデビュー]
平成29年度「語り部養成講座」を受講した中学生8名は、現在、引揚記念館内で実践研修を行っています。
ナイトミュージアムで、一般の来館者に初めて語り部活動を行う予定です。
※当日参加ができる生徒のみです
②【引揚劇「今君帰る」】
(出演者等)
・舞鶴引揚記念碑を守る会…引き揚げの母と呼ばれた故田端ハナ氏が初代会長を務めた。引揚記念公園にある「あゝ母なる国の碑」の建立趣旨(※1)と引揚者を温かく迎えた市民活動を今に語り継ぐ団体
(内容)
・舞鶴の引き揚げの様子を、当時の写真を交えて伝える劇を創作し、ナイトミュージアムではじめて実演。
・劇名は、田端ハナさんが引き揚げを想い歌った「こだまする引揚船の海鳴りに天地もさけよ今君帰る」からつけた。歌碑が、引揚記念公園内に設置されている。
(場所)
・セミナールーム
(その他)
・8月3日(金)、6日(月)の午前中に中総合会館内5階フレアス舞鶴で練習予定。
③【朗読と音楽ユニット】
(出演者等)
・彩~いろどり~
(内容)
・絵本「ななしのごんべさん」の朗読にピアノや大正琴の音色が盛り込まれた朗読と音楽のコラボ。
(場所)
・セミナールーム
④【発見ミュージアム】
(出演者等)
・舞鶴あそび隊……舞鶴市子育て交流施設あそびあむを拠点に、身近にある物などを使ってのシンプルな遊びを通じ、人と人のつながりを大切にする活動をしている団体。
(内容)
・展示室の照明を暗くした中、懐中電灯(LED仕様)の明かりを頼りに、指定された展示物を写真や詳細な資料説明をもとに探しあてる
(場所)
・展示室 ※18時、19時、20時の3回実施。各30分
⑤【ミニライブ】 出演者調整中
引揚記念公園での催し
⑥【展望台夜間開放】
(内容)
・普段は照明がなく、夜間行くことができない展望広場への園路を、イルミネーションで美しく飾ります。
・展望広場からは、ライトアップされ海に浮かびあがったクレインブリッジを眺めることができ、特別な写真スポットにもなります。
⑦【平和を願うキャンドルイルミネーション・バルーンツリー】
(内容)
・キャンドルポットに平和を願うメッセージの紙を巻き付け浮かび上がらせる約1000個のキャンドルイルミネーション※LEDキャンドル使用
・平和を願うメッセージを書いた光る風船で、樹木などを飾る。
(場所)
・引揚記念公園内(円形広場ほか)
(その他)
・平和を願うメッセージは、8月1日からイベント当日まで、来館者に書いてもらうコーナーを引揚記念館に設置中。
・公園内を平和の光でいっぱいにする
⑧【ミニライブ】 出演者調整中
⑨【ナイトパークシアター】
(内容)
・引揚記念館の壁面を利用して映像等を投影
・音楽劇「君よ生きて」(一部)の上映ほか
その他の催し
⑩【引揚援護局メニューの再現】
(内容)
・舞鶴地方引揚援護局閉局60年を記念し、「舞鶴地方引揚援護局史」(昭和36年刊行 厚生省)に記録されている食事の献立を再現。当日、舞鶴引揚記念館「ベルカフェ」で各10食限定で「援護局・お帰り御飯」として販売する。
⑪【なつかし「冷やしあめ」の販売】
舞鶴引揚記念館「ベルカフェ」で、昔なつかしい「冷やしあめ」をイベント限定販売。
営業は21時まで。
4 その他
イベント開催時間中(17時~21時)は入館料無料 (9時~17時は通常開館)
≪参考≫
(※1)
「あゝ母なる國」の碑について
【記念碑建立の経過】
昭和三十五年頃から、愛するわが子を戦いのために失った老父母、留守家族の方々、無事帰国した引揚者、出迎えに奉仕した者たちが当時貧しい生活の中から、百円募金多くても五百円位のお金を出しあって、やっとこの引揚記念碑が出来たのです。来賓や多くの方を招待する余裕もなく、特にこの碑の建立に魂を打ちこまれた特定の留守家族や親族及び関係者によって、ささやかな除幕式を行い、完成を喜びあいました。
(『あゝ母なる國舞鶴と戦後女性達のあゆみ』1ページより)
昭和三十八年五月十八日、当時の大浦中学校のすぐ前の小高い丘の上に、かつて引揚援護局勤務であり、御令息は市役所へおつとめの桜井様の御好意により、粗末ながらも心温まる記念碑「ああ母なる国」が建立されたのであります。その後記念碑老朽化のため、本会から特にお願いして、銘文又文字もそのままを石に刻み、舞鶴市当時の立道市長様が、引揚記念公園に建て替えて下さいました。
(『あゝ母なる國舞鶴と戦後女性達のあゆみ』2ページより)
※記念碑が引揚記念公園に移転したのは、昭和53(1978)年4月28日。
【裏面にある碑文】
全国引揚運動の父有田八郎 守山久次郎両先生の義に合掌し 舞鶴市民特に舞鶴地区婦人団体 旧舞鶴引揚援護局員の引揚者援護の愛情に感謝し 今日も帰らぬ同胞の望郷の霊を慰めつゝ 岸壁の妻の嘆きをこゝにとどめ 人類永遠の平和を希うのあまり 海外引揚者有志たちがこれを建てる
昭和三十八年五月十八日