多くの引揚者をお迎えした舞鶴で、引き揚げ事業を支えた人々を紹介する『引揚を支えた人々の物語』
それぞれの立場で「出来ること」を懸命に取り組んだ人々の想いを紹介します。
第2回目は戦後の学生によるボランティアの先駆けともいわれる「在外父兄救出学生同盟」
戦前、中国、朝鮮半島、台湾など、外地で暮らしていた日本人の中には、進学のため大阪や東京などに単身でやって来る学生も多くいました。
親元を離れ暮らす学生たちは、終戦後、家族との連絡が途絶え、不安な日々を過ごしていました。「在外父兄救出学生同盟」は、戦争が終わったあと、生きているかどうか家族の消息が分からない・・・そんな同じ境遇の学生が中心となって、中国や朝鮮半島などから帰ってくる引揚者から現地の情報を得るために結成されました。彼らの活動をご紹介します。
第1回目は「岸壁の母」と呼ばれた端野いせさん(ここをクリックください)
引き揚げ当時、東京・大森に住んでいた、端野いせさんは昭和29年(1954年)に菊地章子さんが歌いヒットした歌謡曲「岸壁の母」のモデルとなった人物です。戦争が終わっても帰らぬ息子の無事を信じて、舞鶴港の岸壁で待ち続けた母の想いをお伝えします。