展示資料 web紹介 -№4

舞鶴引揚記念館資料紹介
~抑留者の心を支えたモノづくり~

第二次大戦後、旧満州などからソ連のシベリアへ連れていかれた日本兵などは、いつ帰してもらえるかわからない中、飢えと重労働にさいなまれながらも、時にはスプーンなどを作り、また、ある時は少しでも生活に明るさを求めて麻雀牌や花札を自作して、モノづくりを始めました。
労働が終わった後のわずかな時間、モノづくりに熱中することで、一時的に不安から解放され生きる希望となりました。
「明日はここを仕上げよう」
「明日からはもう少し工夫したものを作ろう」
こうして、モノづくりは抑留者の生きる力となっていきました。

 

8回にわたって、普段展示室ではご覧になれない資料も含め、手作りされた”モノづくり“資料を特別に紹介していきます。

 

第4回 点ける ☛こちらからご覧ください【PDF】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回☛こちらから

ご覧ください【PDF】

 

第2回☛こちらから

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第3回☛こちらから

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引揚を支えた人々の物語③抑留者救済の父 大木英一さん(バックナンバー有)

多くの引揚者をお迎えした舞鶴で、引き揚げ事業を支えた人々を紹介する『引揚を支えた人々の物語』

それぞれの立場で「出来ること」を懸命に取り組んだ人々の想いを紹介します。

第3回目は「抑留者救済の父」大木英一さんです。

終戦により、海外にいた日本人が続々と引き揚げてくる中、多くの将兵や民間人がシベリアなどに強制連行され、帰国することが出来ませんでした。いわゆる「シベリア抑留」です。この抑留者の早期帰還を訴えるために立ち上がった大木英一さんのお話です。

 

◆第2回目は戦後の学生によるボランティアの先駆けともいわれる「在外父兄救出学生同盟」(ここをクリックしてください)

◆第1回目は「岸壁の母」と呼ばれた端野いせさん(ここをクリックください)

展示資料 web紹介

舞鶴引揚記念館資料紹介
~抑留者の心を支えたモノづくり~

第二次大戦後、旧満州などからソ連のシベリアへ連れていかれた日本兵などは、いつ帰してもらえるかわからない中、飢えと重労働にさいなまれながらも、時にはスプーンなどを作り、また、ある時は少しでも生活に明るさを求めて麻雀牌や花札を自作して、モノづくりを始めました。
労働が終わった後のわずかな時間、モノづくりに熱中することで、一時的に不安から解放され生きる希望となりました。
「明日はここを仕上げよう」
「明日からはもう少し工夫したものを作ろう」
こうして、モノづくりは抑留者の生きる力となっていきました。

 

8回にわたって、普段展示室ではご覧になれない資料も含め、手作りされた”モノづくり“資料を特別に紹介していきます。

 

第3回 梳く  ☛こちらからご覧ください【PDF】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2回 切る  ☛こちらからご覧ください【PDF】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回 食べる ☛こちらからご覧ください【PDF】

 

舞鶴引揚記念館web企画展②

舞鶴引揚記念館web企画展   『写真展 記憶のふりかえりをふりかえる』

コロナウィルス感染症の影響で舞鶴引揚記念館の休館が5月31日まで延長となる中、当館初の試みとしてweb企画展『写真展 記憶のふりかえりをふりかえる』を4回シリーズで実施いたします。

第2回は「引揚記念公園の造成と竣工」

https://youtu.be/ftGNhLpPe5Q(こちらをクリックください)

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舞鶴引揚記念館資料紹介
~抑留者の心を支えたモノづくり~

第二次大戦後、旧満州などからソ連のシベリアへ連れていかれた日本兵などは、いつ帰してもらえるかわからない中、飢えと重労働にさいなまれながらも、時にはスプーンなどを作り、また、ある時は少しでも生活に明るさを求めて麻雀牌や花札を自作して、モノづくりを始めました。
労働が終わった後のわずかな時間、モノづくりに熱中することで、一時的に不安から解放され生きる希望となりました。
「明日はここを仕上げよう」
「明日からはもう少し工夫したものを作ろう」
こうして、モノづくりは抑留者の生きる力となっていきました。

 

8回にわたって、普段展示室ではご覧になれない資料も含め、手作りされた”モノづくり“資料を特別に紹介していきます。

 

第2回 切る  ☛こちらからご覧ください【PDF】

 

 

 

 

 

 

 

第1回 食べる ☛こちらからご覧ください【PDF】

 

展示資料 web紹介

舞鶴引揚記念館資料紹介
~抑留者の心を支えたモノづくり~

 

第二次大戦後、旧満州などからソ連のシベリアへ連れていかれた日本兵などは、いつ帰してもらえるかわからない中、飢えと重労働にさいなまれながらも、時にはスプーンなどを作り、また、ある時は少しでも生活に明るさを求めて麻雀牌や花札を自作して、モノづくりを始めました。
労働が終わった後のわずかな時間、モノづくりに熱中することで、一時的に不安から解放され生きる希望となりました。
「明日はここを仕上げよう」
「明日からはもう少し工夫したものを作ろう」
こうして、モノづくりは抑留者の生きる力となっていきました。

 

それでは、今回から8回にわたって、普段展示室ではご覧になれない資料も含め、手作りされた”モノづくり“資料を特別に紹介していきます。

第1回 食べる ☛こちらからご覧ください【PDF】

引揚を支えた人々の物語 ②在外父兄救出学生連盟(バックナンバー有)

多くの引揚者をお迎えした舞鶴で、引き揚げ事業を支えた人々を紹介する『引揚を支えた人々の物語』

それぞれの立場で「出来ること」を懸命に取り組んだ人々の想いを紹介します。

第2回目は戦後の学生によるボランティアの先駆けともいわれる「在外父兄救出学生同盟」

戦前、中国、朝鮮半島、台湾など、外地で暮らしていた日本人の中には、進学のため大阪や東京などに単身でやって来る学生も多くいました。

親元を離れ暮らす学生たちは、終戦後、家族との連絡が途絶え、不安な日々を過ごしていました。「在外父兄救出学生同盟」は、戦争が終わったあと、生きているかどうか家族の消息が分からない・・・そんな同じ境遇の学生が中心となって、中国や朝鮮半島などから帰ってくる引揚者から現地の情報を得るために結成されました。彼らの活動をご紹介します。

第1回目は「岸壁の母」と呼ばれた端野いせさん(ここをクリックください)

引き揚げ当時、東京・大森に住んでいた、端野いせさんは昭和29年(1954年)に菊地章子さんが歌いヒットした歌謡曲「岸壁の母」のモデルとなった人物です。戦争が終わっても帰らぬ息子の無事を信じて、舞鶴港の岸壁で待ち続けた母の想いをお伝えします。

告知 web企画展開催のお知らせ

舞鶴引揚記念館web企画展
『写真展 記憶のふりかえりをふりかえる』

コロナウィルス感染症の影響で舞鶴引揚記念館の休館が5月31日まで延長となる中、当館初の試みとしてweb企画展『写真展 記憶のふりかえりをふりかえる』を4回シリーズで実施いたします。
5月16日の開催に向け、告知動画をお届けします

 

クロ(シベリアからやってきた犬)からのメッセージ

 

⇐クロからのメッセージ(ここをクリックください)

 

クロはハバロフスクの収容所で抑留者の心の支えとなり可愛がられた犬です。

過酷な抑留生活の中にあっても力強く生き抜いた抑留者に寄り添い、心の交流や人道の精神に助けられ、命を繋いだクロから、辛い中でも希望を持ち、前向きに日々を過ごしていただきたいとのメッセージをお届けしま