戦後の混乱の中、海外から引き揚げてきた人々を舞鶴の小・中学校のこどもたちは「おかえりなさい」「ごくろうさまでした」と手や旗を振ってお出迎えをしました。また、引揚援護局へ出向いて歌やお遊戯などの慰問も行いました。こどもたちの愛らしく一生懸命な姿は故郷へ思いをはせ、新たな一歩を踏み出そうとしている引揚者の心を和ませました。本企画展では、引揚援護局内の様子やこどもたちの慰問、引揚直後の人々などを当時の絵画や手記、写真などの資料でご紹介します。
【展示期間】
令和3年7月31日(土)~ 令和3年 10月24日(日)
※展示期間中の休館日:9月16日(木)・10月21日 (木)
【場所】
舞鶴引揚記念館 企画絵画展示室 (企画展は無料。別途入館料が必要です)
【展示資料 総点数 39点】
【主な展示資料】
・こどもの慰問等の写真パネル
舞鶴市内の小中学校の児童・生徒による慰問の様子の写真 児童たちは、学校が終わってからトラックやバスに乗せられて引揚援護局にて歌や踊り、お遊戯を披露した。 |
・感謝状(文部大臣から)
昭和29年(1954)大浦中学校に対して、当時の文部大臣 大達茂雄から引揚邦人に対しておこなった引揚者のお迎えや歌、踊りの慰問といった数々の努力に対して贈られた感謝状。市内の他の学校では感謝状が贈られた記録は残るが、現存はしていない。 |
・当時の公文書やメモ
昭和28年(1953)に中国地方からの引揚者が入港するのに伴い、市を挙げて引揚者の歓迎会の催しが計画された。この時の引揚者の中には多くの就学年齢の子供がいたため、市内の小中学校から歓迎の慰問が計画され、児童や教諭も参加した。 |
・引揚者を迎える歌(若浦中学校) DVDなど
若浦中学校の前身である大浦中学校では、引揚船が入港する度にお迎えに繰り出し、引揚者を迎える歌を歌って歓迎した。現在の若浦中学校では、その歌を復元して令和元年から平和祈念式典などで披露している。 |
・援護局を描いた絵画
舞鶴港 羽根田光雄 氏 |
DDT消毒 羽根田光雄 氏 |
大浴場 羽根田光雄 氏 |
舞鶴での食事 羽根田光雄 氏 |
羽根田光雄 氏プロフィール 明治43年(1910) 宮城県に生まれる 昭和10年(1935) 東京石川島造船所(現石川島播磨重工)入社 昭和20年(1945) 満州石川島重工出向する。8月に現地招集後、ソ連に抑留 昭和22年(1947) 舞鶴に帰国、石川島重工に復帰 平成10年(1998) 逝去 平成27年(2015) 引揚記念館に寄贈した絵画50点がユネスコ世界記憶遺産に登録 |